患者の方へ

若林 俊彦
  • 名古屋大学大学院医学系研究科
    脳神経外科学教授
    若林 俊彦Toshihiko WAKABAYASHI

若林 俊彦教授からのメッセージ

皆さんは、日常の生活やご自分の仕事を進めていく中で、家族や同僚や上司から「もっと頭を使え」と言われたことはありませんか。毎日の生活や仕事に「頭を使わず」、慣例に従って、単純な動作を繰り返しているうちに、相手や周りの人々の「頭脳的プレー」に呑み込まれて、ずるずると相手の有利の中で物事が進み、気がついてみれば、日頃の頭脳トレーニングや巡らせていた独創的なアイデアや自分らしさを一回も出すことが出来ず、圧倒的な差で相手に負けてしまうことを経験したことはありませんか。「だから内の家内には、頭が上がらないんだよね」とか「どうも頭の回転が違うようで、言いなりになっちゃうんだよね」なんて声が巷でよく聞かれます。後の祭りとなってしまってから、敗戦の弁として語るには、皆さんは、一様に「頭を垂れて」、「頭が真っ白になった」「もっと頭を使えば良かった」「頭に血が上ってしまった」「頭で考えすぎてしまって・・・」などと、なんと簡単に自分の「頭の悪さ」のせいにしていませんか。日常、頭を診療し、治療している「一脳神経外科医」の私としましては、こよなく愛している「頭」をそう簡単にこきおろさないでくださいと言いたいです。特にあなたが産まれたときからずっと付き合っている頭だって、あなたを素敵に持ち上げようとして、一生懸命頑張ろうとしているのですから。

若林教授

それではどう言い訳すればよいのでしょうか。そう尋ねると、普通は「もっと頭を冷やせ」「頭でっかちになるな、もっと体で覚えろ」「自分の頭で考えてみろ」「頭で考えなくても、自然と動けるように練習しろ」などとありきたりの返答が帰ってくるのでは、全く進歩はありません。これでは、次回も、またその次も、同じ頭で同じ過ちを繰り返すのが関の山です。これではあなたの頭も「宝の持ち腐れ」になってしまいます。

それでは本当にどうすればよいのでしょうか。その答えの一助となると思われるのが、最近の脳科学の研究で指摘され、クローズアップされて来た「右大脳半球前頭葉」の神秘です。それは、我々がいままで、「優位半球」は左側で、右の脳は「劣位半球」として扱い、ときには見下していた「右大脳半球前頭葉」の恐るべき逆襲であり、そこに潜むものこそ、極めて鋭敏で深遠な動物特有の洞察能力と集団で生きていく力の原動力なのです。

たとえば、若者が巷でよく使う、“KY”(Kuuki-Yomenai:空気読めない)という略語。それは、一般的には「周囲の環境や成り行きの雰囲気が読めずに、瞬時の対応が遅れ、集団としての全体の行動についていけない天然ボケ」として使われ、典型的“KY”のヒトは、グループから村八分にされることがままあるのですが、この原因が、実はこの「右大脳半球前頭部」にあることが最近の研究で分かって来たのです。この部分の脳は、「相手の気持ち」や「周辺の雰囲気」を読み込むために、我々は相手の「眼」から瞬時に多くの情報を入手して、右大脳半球前頭部で情報を処理した後に、その雰囲気に合った適切な行動をとるために脳や体のあらゆる所に指令を送っているのです。相手の「眼」に潜む情報をあっという間に読み取り、そしてそれを行動に移す重要な機能がここにはあるのです。確かに、「眼は心の窓」「眼がものを言う」「心眼」など、いままでもある程度、こころの窓としての眼の働きには気がついてはいましたが、それが科学的客観的事実として証明されてきたのです。

もしも、毎日の生活や仕事の件で、「頭に来る」ことが起こったとした場合、そのまま熱くなる前に、まず、君の右の前頭部を触って、「右前頭葉」をスイッチオンして、さっそく相手の眼をじっと見つめましょう。そうすれば、相手の心が読め、次の作戦が実に見事に見抜けるかもしれません。そのとき、勝利の女神はこちらに微笑みます。まず、相手の「眼を見つめて」「脳を使いましょう」!そういえば、各種集団的式典の開始時に行なう敬礼は、右手で右前頭部を触るポーズであり、これこそ、「洞察能力スイッチオン」の経験的に獲得した“KY”予防策なのではないですか。このホームページを読んだ方は、私に会ったときには、この「敬礼ポーズ」をお互いにしましょう!!

さて、このように脳は、まだまだ神秘の臓器です。でも、そこには、たくさんの病気も潜んでいます。脳卒中、脳腫瘍、頭部外傷、パーキンソン病、認知症、うつ病、などなど、皆さんのよく知っている脳の病気はたくさんありますね。

例えば、「脳腫瘍」に焦点を当ててみましょう。脳腫瘍は年間1万人程度に発生するといわれています。その性格は良いものから悪いものまで多種多様であり、脳腫瘍の代表格である神経膠腫(グリオーマ)は神経細胞の支持組織であるグリア細胞から発生すると考えられています。その中でも、最も悪性の腫瘍を膠芽腫(グリオブラストーマ)と呼びます。この腫瘍の生存期間中央値は14.6ヶ月、5年生存率は僅か6%で、未だに治癒不能とされる病気です。近年、このような腫瘍の遺伝子解析による新たな知見がぞくぞく報告されて来ており、ある遺伝子の異常は予後良好な因子として区別できることが判明してきています。今後の解析結果によっては、急速に個別化医療へ進展する可能性を秘めています。

若林教授

このように、脳腫瘍の分子生物学的な新たな展開がみられる中で、その脳腫瘍に対する手術方法にも、様々な進化がみられています。脳神経外科の手術法は、1980年代に導入された脳神経外科顕微鏡下手術により、脳神経外科の安全性は飛躍的に向上しましたが、1990年代に導入が始まったニューロナビゲーションを基本技術とする画像誘導手術の発展により、その目覚ましい進化は眼を見張るものがあります。多様な画像の融合体とコンピューター工学の進歩により、三次元のバーチャルイメージなどの画像誘導技術が手術技術の飛躍的な向上に多大な貢献をしています。手術時には、術直前に撮影したMRI画像、PET画像等の融合画像をニューロナビゲーションシステムへ登録し、これを用いて手術計画の立案を実施します。その後、ナビゲーション機能の誘導に従って、開頭、顕微鏡下手術を順次遂行し、あらかじめ設定した標的に向かって手術を進めていくのです。また、必要に応じて、神経生理学的なモニタリングおよび意識を手術中に覚ませて、患者さんとお話をしながら脳の手術をしていく覚醒下開頭術を実施することで、術後の各種神経機能の温存の向上を図っています。 

また、近年、術中に腫瘍組織の残存或は浸潤が見込まれる摘出腔に留置するタイプの薬剤であるBCNU wafer (ギリアデル)が使えるようになったことで、手術戦略も大きな転換が起こっています。即ち、優位半球で機能予後に配慮して、全摘出を断念した症例についても、術中にギリアデルを留置することによって、術直後より直ちに残存腫瘍に対して治療が開始できるようになってきました。今後は、更に分子生物学的な手法が放射線学的画像診断法と直結し、腫瘍の発生母地、腫瘍幹細胞の所在、腫瘍の悪性度分類及び層別化、個別化に続けて、近未来は手術法にも個別に対応する手法等の革命が起こることでしょう。